皇居三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれた絵画・書跡・工芸品などの美術品を保存・調査研究・展示しています。本展では、皇居三の丸尚蔵館が収蔵する作品のなかから、皇室の御慶事に際して制作された絵画や工芸品をはじめ、野口小蘋、富岡鉄斎ら山梨ゆかりの画家の絵画、水晶貴石細工や硯といった県産の工芸品、富士山や山梨ゆかりの地を主題とした美術品など、山梨に関係する様々なテーマで皇室の名品を紹介します。
さらには、それらに関連した山梨県立美術館の収蔵品もあわせて展示することで、皇室と山梨をめぐる美術を鑑賞するまたとない機会となるでしょう。
野口小蘋(1847~1917)は、近代を代表する南画家です。大坂に生まれ、日根対山に南画を学び、滋賀県の豪商野口家へ嫁ぎました。一時期、営業所のある甲府に居住しますが、夫の事業失敗から一家で上京します。以降、南画家として人気を博し、日本美術協会を中心に活躍しました。
一方で、華族女学校で教鞭を執り、皇族の画学教導を務めるなど、皇室との関わりも深く、それらの功績から女性で初の帝室技芸員に任命されました。そして大正天皇の即位に際して、《大正度 悠紀地方風俗歌屏風》を揮毫する名誉を授かっています。
帝室技芸員とは、明治23(1890)年、皇室による美術の保護を目的として設置された制度によって任命された芸術家のことです。制度は終戦まで続き、79名が任命されました。
本章では、明治から大正期の美術の屋台骨を支えた帝室技芸員たちの優品を紹介します。
「最後の文人」と称される富岡鉄斎(1836~1924)は、生涯で唯一の富士登山を甲府にある野口家(野口小蘋の嫁ぎ先)を拠点に行いました。野口家には数多くの鉄斎作品が伝わりますが、富士登山の感動が冷めやらぬうちに描いた《登嶽巻》や、富士山を頂上から描いた《富士山巓麓略図》は、鉄斎の富士山の代表的作品となっています。
本章では、これらとともに、帝室技芸員であった鉄斎が京都市の依頼で制作し、献上された《武陵桃源・瀛洲神境》など、皇室に伝わった鉄斎作品を紹介します。また、富士山の画家として知られる洋画家の和田英作や日本画家の横山大観の秀作や、近現代を代表する画家たちが描いた富士山図を展示します。さらには、富士山を表現した明治期の工芸品など、富士山を主題とした美術品を紹介します。
本章では、第1、2章で取り上げた以外の山梨ゆかりの作家の作品や、県産の工芸品を、皇室の名品とともに紹介します。
《水晶玉蟠龍置物》の水晶玉は、甲府市にある金櫻神社の神宝としてウィーン万国博覧会へ出品された後に明治天皇へ献上され、豪華絢爛な彫金、象嵌、そして蒔絵による台と卓が制作されました。そのほか工芸品では、雨宮弥兵衛による雨端硯や宅間工房による香炉など山梨ゆかりの作品を紹介します。
皇室の名品としては、伝 狩野永徳《源氏物語図屏風》をはじめ、岩佐又兵衛《小栗判官絵巻》、尾形光琳《西行物語》などの近世絵画が揃います。また、皇室の美術品として欠かせないのが、御慶事などで金平糖などを入れて配る菓子器のボンボニエールであり、本展では、繊細で精巧な技術で制作されたボンボニエールを10点紹介します。
なお、展覧会場では、文化財保護と普及の観点から高精細データをもとに制作された国宝《唐獅子図屏風》の複製品を展示して、ガラス越しではなく、明るい照明の下で鑑賞していただけます。