「ベル・エポック」とは、19世紀末から第一次世界大戦開戦頃までパリを中心に繁栄した華やかな文化およびその時代を指します。当時、パリには美術家、音楽家、文学者、ダンサー、舞台関係者、ファッションデザイナーなど、様々な分野の芸術家が集まり、互いに交流しながらそれぞれの芸術を開花させ、今なおパリには当時の面影を感じることができます。
本展ではその「美しき時代」およびその少し後の作品を取り上げ、文化の諸相を重層的に紹介します。なお本展の中心をなす、デイヴィッド・E.ワイズマン氏およびジャクリーヌ・E.マイケル氏ご夫妻のコレクションは本邦初公開となります。
パリは1870年から1871年にかけて、普仏戦争とパリ・コミューンの動乱を経験したものの、以降およそ半世紀近くの間、政治的安定を享受した。その間、オペラ座、エッフェル塔、サクレ=クール寺院など、現在のパリの都市景観を象徴する建造物も次々と完成し、巨大な近代都市へと変貌を遂げた。目まぐるしく変化する都市生活では、様々な階層の女性が活躍し、多彩な芸術活動の一端を担った。音楽家や詩人などを自宅に招いてサロンを主宰する裕福なブルジョワ階級の女性がいた一方、カフェやキャバレーで過ごす下層階級に属する女性たちは芸術家の格好の主題になった。芸術家たちは様々な芸術分野をとおして、移ろいゆくパリの現代生活を表現していった。
パリ北部、サクレ=クール寺院を抱き、パリの街を一望できるモンマルトルは、19世紀から20世紀にかけて、ナポレオン3世が進めた都市整備事業(パリ大改造)によって中心部を離れざるを得なかった市民たちの移住地のひとつであった。また新興のキャバレーやダンスホール、カフェ・コンセールが軒を連ね、歌やダンス、大道芸が供される歓楽街としても賑わい、そこにアトリエを構えた画家たちの格好の題材となった。文芸キャバレー:シャ・ノワールでは映画の先駆けとなる影絵芝居が上映され、ドビュッシーやサティらがピアノを奏でた。美術や文芸、 音楽、演劇などに携わる多彩なアーティストたちがジャンルを越えて交わり、融合した場所のひとつである。本章では、芸術家たちの相互交流がうかがえる作品を紹介する。
ベル・エポック期のモンマルトルでは劇場も大きな役割を担った。自然主義演劇を多く上演したテアトル・リーブル(「自由劇場」)では野心的な演劇作品が 上演されたことに加え、上演目録用の挿絵や舞台装飾に様々な芸術家が関わったことで、モ ンマルトルを拠点としたたくさんのコラボレーションが生まれた。また、非日常的要素を提供するサーカスの存在も、芸術家たちを引き付けた。1873年に開設されたシルク・フェルナンド(1897年にはシルク・メドゥラノに改名)は 2代目シャ・ノワールの近くに位置し、出し物や出演者たちをモチーフにした多くの作品が残された。その他にも最新の科学技術を駆使したロイ・フラーのダンスがフォリー・ベルジェールで披露されるなど、当時のエンターテインメントはモンマルトルなしでは語れなくなっていった。
世紀末のパリではフェミニズム運動も高まりを見せ、社会的自立を目指す女性が登場する。教育を受けた女性は医師や弁護士の資格を取得する者もいた。1903年には物理学者のマリー・キュリーがノーベル賞を受賞するなど、女性が活躍する時代でもある。女性の活躍は社会運動のみならず芸術の分野でも見られた。メアリー・カサットやシュザンヌ・ヴァラドンのような女性画家があらわれ、男性画家の中に混ざって精力的に作品を発表した。また、舞台芸術では伝説的な女優のサラ・ベ ルナールが、パリのみならずロンドン公演やアメリカ遠征を成功させて国際的にも活躍し人気女優となった。女性の活躍にともないファッションや装飾美術にも変化が訪れる。優雅な曲線美から活動的なスタイルへの移行は、女性の社会進出を表徴するものといえよう。