ジャン=フランソワ・ミレー(1814~75)は、産業革命以降、急速に近代化が進展する19世紀のフランスにおいて、自然と共に生きる農民の営みを描き続けた画家です。山梨県立美術館では、開館時に代表作《種をまく人》を収蔵して以来、自然豊かな県を象徴するコレクションとして、ミレー作品の収集を継続してきました。 当館開館45周年を記念して開催する本展では、ミレーの作品と共に、私たちと同じ時代を生きる4人の現代作家の作品を展観することで、多様な解釈を開くことを試みます。人の営みが様々な観点から見直される現代において、ミレー、そして現代作家の作品は、どのようなメッセージを私たちに発しうるでしょうか。私たち1人1人にとっての「世界」のかたちを探る機会として、それぞれの作品世界の共鳴をお楽しみいただきます。
1814年に、フランス北西部ノルマンディー地方のグリュシーに農家の長男として生まれたミレーは、はじめに近隣の港湾都市シェルブールで、次いで首都パリの美術学校で、人体デッサンや構図など、絵画制作を学びました。パリとシェルブールを行き来しながら、肖像画や風俗画を制作して生計を立てながら、画壇での成功を目指しましたが、1849年、パリを襲ったコレラのパンデミックを機に、家族でバルビゾン村に移り、生涯制作の拠点としました。
農民の生活を描いた作品でよく知られるミレーですが、このように、ミレーの画業全体をとおして見た際には、自身の状況に応じて場所を移りながら、肖像画、神話画、宗教画、風景画など、様々なジャンルや画題に取り組んでいます。
本章では、ミレーがその土地々々で描いた作品を、山縣良和によるインスタレーション「Field Patch Work つくりはかたり、かたりはつくり」の一部として展示いたします。さまざまな色・形・大きさの布片をはぎ合わせて、一つの面を作り出すパッチワークのように、様々な偶然性が織りなす構成要素が一体となり、新たに一つのインスタレーションをつくりだします。
山縣良和は、writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)を手掛けるファッションデザイナーであるとともに、ファッション表現の実験と学びの場としてcoconogacco(ここのがっこう)を主宰する教育者としての顔を持つ作家です。
山縣は、19世紀にヨーロッパを席巻したコレラによるパンデミックをきっかけに、パリを離れバルビゾン村へ移り住んだミレーに、 2020年頃から世界を席巻したパンデミックをきっかけに、同じく思索の旅に出た自身を重ね合わせました。
本展では、「Field Patch Work つくりはかたり、かたりはつくり」と題し、山縣が近年活動の場として広げている長崎県の小値賀島と山梨県の富士吉田市、それぞれの土地に刻まれた記憶や、人々の生活の中に生きづいてきたものからインスピレーションを得て制作された作品などを、ミレーの各期の作品とともに配置し、インスタレーションとして展示します。
当館開館当初からのコレクションである《種をまく人》は、バルビゾン村に移住して初めて仕上げた大作であり、ミレーの画業を代表する作品です。1850年の発表当時には、種をまく人物が、まるで土で描かれているようだと評されることもありました。
また、画業が後半になるにつれ、ミレーの作品には、風景表現の豊かさが目立つようになっていきます。それらの作品の中には、大地が画面の大半を占める特徴的な構図の作品が数多く見られることからも、大地は、ミレーを象徴する重要なモチーフだと言えるでしょう。
ミレーと同様に、淺井裕介の作品においても、大地は重要な役割を果たしています。土と水で描く「泥絵」シリーズは、作家の制作活動を強く印象づけるものです。制作を行う地域で、土や水を採取する過程で出会った人々、また、共同制作者として地域で募るボランティアの人々との交流など、その土地での様々な体験を想像力の源として、生命力溢れる作品を生み出します。
本展示では、山梨県内の神社、農地、そして美術館の敷地内で採取された土を用いて、ミレー作品とも交感しながら、空間全体をインスタレーションとして、新たに作品を制作いたします。
夕日と共に一日の作業を終え、朝日と共にまた新たな一日を始める。厳しい冬を終え、大地を耕し、種をまき、芽吹きの季節を迎える。自然に寄り添って生活を紡ぐ人々の姿を描いたミレーの作品には、必然的に、繰り返す自然のサイクルが描きだされています。画業をとおして3度、四季の連作に取り組んでいることからも、このテーマがミレーに取って重要なものであったことが伺われます。
大地から糧を得て、日々の暮らしを繰り返し、世代を紡いでいく。ミレーは、大地で労働する農民を描く一方で、農村の家庭で見られる生活の諸相を捉え、多くの作品を制作しています。作品に見られる、日常の家事に従事する人々の姿からは、日常の生活の尊さ、またその生活が、自然のサイクルの一部であることを伝えるかのようです。
丸山純子は、身の回りのものを素材として用いて制作する作家です。本展では、かつて家屋であった木材、台所に食材を運ぶのに使われたレジ袋、食事を作るのに使用され、役目を終えた廃油を用い、これらに再び命を吹き込むかのように、新たな風景を現出させます。その光景は、再生、循環を繰り返しながら紡がれていく、人や自然の様相と重なりあうものではないでしょうか。
人が自然に寄り添い生活を営む際、家畜の存在は欠かせないものでした。羊を育て、羊毛から糸を紡ぎ、衣服として利用する。牛から乳を取り、食卓に並べる。ミレーは、このような一つひとつの光景にまなざしを向け、作品として残しています。
《羊の毛を刈る女》は、古くより変わらず続けられてきた労働に従事する女性の姿が、大きな画面の主役として描きだされています。1861年のサロンに出品された際には、その静謐で厳かな印象からか、「最も驚嘆すべき古代彫刻を想起させる」と絶賛をされました。1867年の万国博覧会に出品された《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》では、農民よりも近く、自然の中に身をおく羊飼いの姿が、黄昏時の空の下、神秘的な姿で描き出されています。
志村信裕は、映像を主な表現媒体として用いる作家です。《Nostalgia, Amnesia》では、スペインと国境を接するフランス領バスクで営まれる、羊と共にある生活の様子と、かつて御料牧場が営まれ、成田空港の建設とともに閉場した千葉県成田市三里塚で、立ち退きに抵抗し、農業を営む男性の様子などが交互に映し出されます。社会とともに生活が変容し、忘れ去られていく人と労働のイメージが、ノスタルジア(懐古)、アムニジア(健忘症)というタイトルとともに、「記憶」として表現されています。